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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
というのを作ったが、両曲ともに今は廃曲となっているとのことである。
文筆に関したこと以外で実隆の干与した職務といえば、御料所たる荘園の未進年貢の催促、勅額勅願所に関する出願の取次等もあった。神社仏閣等に関する取次は、当時の公卿の通有なことであって、その周旋料は彼らにとりて財源の一つであったのである。実隆のごときはむしろ稀にかかることに関係した方であるけれども、それでも日記の所々に散見しておって、中にも大内家の依頼した氷上山勅額勅願所のことにつき、斡旋した時などは、その礼として、大内政弘から、唐紗の浅黄文雲のもの一段、同じく無文白地のもの一段と、それに堆紅の盆とをもらい、実隆にとりてはよほど珍しかったと見えて、浅黄紗の方はさっそく物尺で計ったらしく、二丈一尺七寸余あったと認めている。大内家との親しみはそれのみでなく、延徳元年実隆が権大納言になった時には、政弘から昇進の祝として太刀用脚等の贈遺があり、実隆の方でもまた政弘の所望に応じて『新古今和歌集』を書写して遣わした。大内家は外国貿易に従事し、西国でも有数な富裕の大名であり、その富むに従いてしきりに京都風の文化を模倣し、京都との連絡を濃くしようとしたのであるからして、大内家にとりては、実隆のごときは公卿中でも特に親しみを厚くしたい人柄であり、実隆の方でもまた