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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

故に彼の旅行の範囲は極めて狭いものであった。けれどもさすがは実隆だけあって、その旅行の記事がなかなかおもしろい。奈良に最初行ったのが文明十年で、春三月花のまさに散らんとするころであった。落花を踏み朧月に乗じて所々を巡礼したが、春日山の風景、三笠の杜の夜色、感慨に堪えざるものがあったといっている。二度目に出ている奈良旅行の記事は、実隆の長子で東大寺公兼僧正の弟子となり、西室公瑜と称した人が、京都から奈良に戻る時に同道した際のことで、明応五年閏二月中旬、花の早きは散り遅きは未だ開かぬころであった。宇治に近く三条西家の荘園があるので、奈良行きの時にはそこで中休をするの例であり、この時も南都からの迎馬に宇治で乗りかえ、黄昏奈良に着したのであるが、今見てすら少なからず感興をひく春日社頭の燈籠が、すでに掲焉とともっており、社中の花は盛りで、三笠山の月が光を添えた。この行はもと単に奈良のみでなく、大和めぐりを思い立ったのであるから、奈良に数日滞在ののち芳野に向い、道を八木市場から壺坂にとった。夕陽の時分芳野に着いて見ると、まだ花は盛りで腋の坊に一泊し、翌日は蔵王堂からそれぞれと見物し、関屋の花を眺めて橘寺に出で、夜に入り松明の出迎えを受けて安部寺に一宿し、長谷、三輪、石上を経て奈良に戻った。