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とうようぶんかしにおけるぶっきょうのちい

東洋文化史における仏教の地位

高楠 順次郎

外務省文化事業部に於ける講演、1930(昭和5)年2月15日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 34,830 字 · 69 页

青空文庫

人は自分の兄弟が殺される如くに感じ、直ちに自分の生命を棄ててもその牛を救いに行くというふうの人間なのであります。それで毎年マホメット教の祭の時には牛を殺すのであるが、その殺す前に意地悪く、これを今夜殺して犠牲に供するのであるといってインド人の町を牽いて歩いて皆に犠牲になる牛を見せるのであります。

そうするとインドの青年は徒党を組んでその牛を助けに行く、それで毎年マホメット教とインド教との間に戦争が起こります。そういうふうの国柄であるのでありますからそこ、にヨーロッパの人たちがいくら親切をもって臨んでいっても、この理想の根本が違うのでありますから、牛刀を携えてそうして毎日牛を殺してそれを食物としているというふうではどうしてもインドの国を治めることができない、それはあたりまえであります。そういう風変りの国であります。かくも理想が違っていると同時に、解釈の仕方も全く違っているといってもよいので、その一例を申して見ますると、文明の起原といったならば、生存競争が文明の起原であるというのでありますがインドでは全くこれとは違って、生存競争とは何であるか、お互いが競争してその結局は他人を倒すということである、その生存競争の結果は人と人とが争うばかりでなく、国と国とが争うこととなって、ついに今度のように大戦争を惹起して、