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とうようぶんかしにおけるぶっきょうのちい

東洋文化史における仏教の地位

高楠 順次郎

外務省文化事業部に於ける講演、1930(昭和5)年2月15日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 34,830 字 · 69 页

青空文庫

仏哲の梵語の文典が徳川時代まであったことは確かでありますから、古い寺々を探しましたがどうしても見つからない。他書に見ゆる引文からどんなものであったかということは分ります。文典が残るくらいでありますから梵語を教えたということは確かであります。それから一切経の中から歌唱の文句を撰出して音楽の囀(歌詞)とするのは僧正の役で、これを舞楽に編み込み舞踊の型を作るのは仏哲の仕事であった。

後には朝廷の音楽の中に「臨邑楽」というものを付け加えられそして盛んに教えられ、伎楽に代る舞楽全盛の時代となった。それが今日まで残っているのであります。こういうふうに音楽も教え梵語も教えてインド人、准インド人が奈良には居住しておったのであります。それでご承知の五十音の図でありますが、あの図は梵語の字音の並べ方の通りであります。あれは吉備真備が作ったというようなことを伝えているのでありますが、そうではなくて、この二人が教えておった梵語の表が自然に日本の言葉に移ってそうして五十音図表が出来たのだと思うのであります。而してまたかかる人が奈良におったのでありますから言葉も多少輸入され、日本の国語も影響を受けずにはおらない。