轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
とうざいりょうぶんめいのちょうわをろんじてていこくのしょうらいにおよぶ
東西両文明の調和を論じて帝国の将来に及ぶ
大隈 重信
東京神田共立女子職業学校で開催された講演会における講演、1916(大正5)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,787 字 · 14 页
また当時に於ては人口も稀薄であったから、生存の安堵たりしことは想像するに困難でない。また生存競争の根本原因たる食物の点より考うるも、山川、島嶼、内海の布置極めて自然の妙を得、食するに足る獣魚、穀物、貝類を供給しておったため、人間が応揚で、落着きがあった。故に日本人の間に開けた文明は幼稚単純をその特徴としていた。人は皆簡易生活に満足し、欲望とても極めて淡泊ならざるを得なかった。かかる状態のところへ大陸文明、即ち支那、印度の文明が初めて輸入されて、在来の日本固有の文明に融和されることとなった。而してこの輸入文明は主として精神文明、即ち宗教(仏教、儒教等)、哲学、文芸及びその他種々の学芸であった。温和な風土、温和な人心にこの精神文明が働きかけたので、其処でその後日本の文明はどう開けたか。勿論、宗教、建築、絵画彫刻の進歩発達を促すことになり、一部は政治乃至一般の社会にも影響を及ぼし、生存に必要なる工業方面にも多少の変化を促したが、とにかく物質上に蒙った影響は比較的尠少であった。
以上述べたことは極めて概括的ではあるが、旧日本文明観の一般である。されば日本固有の文明に日本化された支那、印度の文明を加味したのが即ち旧日本の文明であって、希臘、羅馬の文明とは甚だ異っている。