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つばきのはなのあか

椿の花の赤

豊島 与志雄

「公論」1940(昭和15)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,755 字 · 22 页

青空文庫

ここでお逢いしましたから、また伺います。もう何時でしょう。」

用件以外の時には私はいつも時計を身につけていなかった。感じからすればもう一時頃になっていたろうか。

そして私は別所と別れたのであるが、酔っていたからよく覚えていないけれど、大体右のような会話だったと思うし、最後の彼の言葉はへんに頭に響いた。

その夜、これは後で知ったことだが、野田沢子がじみな和服を着て別所を訪ねて来、別所の不在をきいて眉をひそめ、用があると昼間から打合せてあるのにと云い、帰りを待つとて李の室にあがりこんだ。それから二人で正枝のところに来て、賑かにトランプなんかして、十時すぎに沢子は帰っていった。別所と沢子は許婚の間柄だと李が吹聴していたものだから、正枝は沢子を好遇していたし、その晩も、菓子や果物などでもてなしたのだった。

ところで、不思議な事件のことだが、それ自体はさほど重大なものではない。それを最初に見つけたのは李であった。李は時折早起きしては、アパートの東側の崖上の空地に出て、朝の冷気のなかで、陽を浴びたり体操の真似事みたいなことをしたりして、少時を楽しむことがあった。