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くすのきのはなし
楠の話
豊島 与志雄
「文章世界 第拾四卷第四號」博文堂、1919(大正8)年4月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,820 字 · 22 页
」
私は母の膝を離れて立ち上った。もう初めの感動も涙も静まっていた。そして袴をぬいでいると、楠ということが突然私の頭に閃いた。
「楠のことに違いない」と私は思った。するとじっとして居れなかった。母が勝手元に立って行った隙を窺って、私は家を飛び出した。そして庭をぬけて楠の方へ行こうとすると、私の足は其処に竦んでしまった。
楠のまわりに一群の人が居た。一方に先刻の村の人々が立っていた。皆恐ろしい顔をして前方を睥んでいた。それらの視線の前には、私の見知らぬ大勢の人が、地面に蓆を敷いて蹲っていた。着物を着てる者もあれば、腹掛に脚絆をつけてる者もあった。皆逞しい身体をしていた。蓆の片隅には種々な道具が置いてあった、鋸、斧、縄、梯子など。それが皆恐ろしく大きい物ばかりだった。村の人もそれらの人も皆帽子をぬいでいた。そして両方の群の間に、楠を背にして父が立っていた。少し禿げ上った広い額、鋭い眼、高い鼻、濃い赤い髯、きっと結んだ口、そしてそれ全体を包む痩せた透明な頬の皮膚。
私は庭の楓の大きい幹に身を隠して、息をつめてその光景を見守った。欝蒼たる楠の枝葉は深い影で一群の人々を包んでいた。