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しょうたい
正体
山本 周五郎
「アサヒグラフ」 1936(昭和11)年3月11日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,312 字 · 15 页
そしてそのまま停留場まで黙って歩いた。電車はなかなか来なかった、佐知子はときどき津川の横顔へ強い視線を投げかけていた――そして、やがて電車の近づいて来るのが見えたときであった、佐知子は急にすり寄って来てほとんど囁くように、
「一日お延ばしなさい、明日の晩七時頃に野村へお伺いしてよ」
と云った。
津川は驚いて振返った。彼女はショオルのあいだから嬌めかしく、むしろ勝誇ったように笑っていた。
「――あれだ」
電車へ乗ると同時に、津川は思わず叫びそうになった。あれだ。あれなのだ、龍助が描こうとして描けなかったもの、あれだけ描きながらついに捉えることのできなかったもの、それはいま、明日の晩行く……といったあの佐知子なのだ。
津川には今こそ了解できた、龍助は佐知子の正体を掴もうとしていたのだ、そして焦りに焦った結果かえって彼女をべつなものにつくりあげてしまった、彼女が津川を驚かせたあの一種の近寄りがたい雰囲気は、じつは龍助が自ら知らぬうちに彼女のうえへ拵えあげたものなのだ、彼は佐知子を追求しながら事実はますます彼女から遠ざかっていたにすぎぬ。死ぬまえ半年のあいだの女遊びも、要するにそれらの悪行を通して彼女の正体をつきとめようとした表われなのだ。