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しのぜんご
死の前後
豊島 与志雄
「経済往来」1933(昭和8)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,273 字 · 35 页
「君にまた頼みたい用件が出来たよ。」
依田氏は声をひそめて云った。これから某会社の専務取締のところへ出かけていって、現金七千円と引替に、一ヶ月期限の約束手形八千円の証書を貰ってきてほしいと、ただそれだけのことだった。但し振出人は先方の専務個人で、宛名はこちらの会社だから、それを注意してこなければならなかった。坪井はつまらない用件なのに不審がって、依田氏の顔色を窺った。すると、依田氏はなお声をひそめて、自分が出かけていっては工合がわるいことがあると弁解し、個人にせよ会社にせよ、時として秘密な窮地に立つことがあるものだと云い、この商事会社の立前として無抵当金融は絶対に謝絶しているので、秘密を守るためには君より外に使者がないと云うのだった。もしこの秘密が少しでも外部にかぎ出されたら、いろんな思惑が行われる懸念があると、その点を彼はくどいほど注意した。坪井はぼんやり聞いていた。貪慾そうな彼の口から出るばかにやさしい細い声が、まるで彼自身の声とは思えなかったし、而もその声の背後には、人の心のなかまで見通そうとするような光をひそめた小さな眼が、油断なく監視しているのだった。