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ははのじょうきょう

母の上京

坂口 安吾

「人間 第二巻第一号」1947(昭和22)年1月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,655 字 · 33 页

青空文庫

夏川は眠るまのわづかばかりの物思ひにも、同じ寝床に足腰のふれてゐる女に就て思ふよりも、ヒロシに就て思ふことが多かつた。ヒロシは今、何を考へてゐるだらうか、と。ヒロシは悲しんでゐるだらう。なぜヒロシは悲しむか。彼は人を憎むことがないからである。彼はたゞ、我人ともに、その運命を悲しむ。彼の胸に燃えてゐるその火の如くに高貴ならざるが故にである。ヒロシはよく眠りうるであらうか、と。

★

「ナアさん。いつそ、あたくしにまかせていたゞけませんか」

「まかせるつて、何をさ」

「あたくし、心当りの家がありますのよ。いゝえ、懇意な家ですから至つて気のおけないところなのです。荷物はあとで、あたくしが運びますから」

「まア差し当つて、そこまで考へることはないぢやないか」

「でも、ナアさん。差し当つて、行くところが」

「だからさ。今夜は浮浪児だよ。ともかく一杯、のみたいね」

「えゝ、ですから、御酒はあたくしの心当りの家で」

「いゝよ、いゝよ。酒ぐらゐはどこででも飲めるのだから」

ヒロシは夏川の当面してゐる母の上京のことに就ては問題にしてゐないのだ。たゞキッカケをつかんだだけだ。