轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

ぼしじょじょう

母子叙情

岡本 かの子

「文学界」1937(昭和12)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 77,355 字 · 153 页

青空文庫

かの女は、働くことに無力な一人の病身で内気な稚ない母と、そのみどり子の餓えるのを、誰もかまって呉れない世の中のあまりのひどさ、みじめさに、呆れ果てた。――絶望ということは、必ずしも死を選ませはしない。絶望の極死を選むということは、まだ、どこかに、それを敢行する意力が残っているときの事である。真の絶望というものは、ただ、人を痴呆状態に置く。脱力した状態のままで、ただ何となく口に希望らしいものを譫言のようにいわせるだけだ。彼女が当時口にした巴里という言葉は、ほんの譫言に過ぎなかった。しかし譫言にもせよ、巴里と口唱するからには、たしかに、よいところとは思っていたに違いなかった。或は貧しい青年画家であった夫逸作の憧憬がその儘、かの女にそう思い込ませたのかも知れない。

将来、巴里へ行けるとか行けまいとか、そんな心づもりなどは、当時のかの女には、全然なかったのだ。第一、この先、生きて行けるものやら、そのことさえ判らなかった。だがその後ほとんど人生への態度を立て直した逸作の仕事への努力と、かの女に思わぬ方面からの物質の配分があって、十余年後に一家揃って巴里の地を踏んだときには、当然のようにも思えるし、多少の不思議さが心に泛び、運命が夢のように感じられただけであった。