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みずとりてい

水鳥亭

坂口 安吾

「別冊文藝春秋 第一五号」1950(昭和25)年3月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 30,705 字 · 62 页

青空文庫

けれども一皮むいて考えると、同情してみたって始らない。戦争というこの冷酷な魔神の通路には、ただ運命があるだけで、誰だって自分の意志でそれを逃れることはできない。自分自身が一時間後にどんな運命になるか、誰も知ってやしない。人に同情するなどとは身の程をわきまえぬ愚行であろう。

「なに、ここだけが戦場になるわけじゃありませんよ。おそかれ、早かれ、日本中がそうなるのです。私は、高いとか安いとか選り好みできるあなたの境遇がうらやましいと思ってますよ」

「じゃア、死ぬる思いですが、思いきって、四千円だします。四千円で売って下さい」

「いえ、いけません。五千円。最低の値をつけたのです。私は商売をしているわけではありません。五千円という捨て値は、まったくの捨て値で、損得勘定の根拠があるわけではありません。ひとつの気分でヒョイときめた捨て値です。愛着のこもったものを捨て去るときの悲しさをいたわってくれるものは気分だけです。私は気分をこわすわけにいきません。商取引のように、値切られたり、まけたりするわけにいかないのです」

亮作は気違いじみた泣き顔をあげて野口を見つめた。