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野村 胡堂
「小説の泉」1949(昭和24)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,176 字 · 28 页
世の中に、恋の別れほど悲しいものがあるでしょうか。万葉の昔から、いや詩経にも希臘悲劇にも、恋の別れの悲しさを、歌わない芸術というものは無かった筈ですが、私自身がそれを経験すると、人類の歴史始まって以来の、最初の大悲劇のような気がして、たった今此地球が、他の天体と衝突して、粉微塵になってしまえ――と、恐ろしい捨鉢な気持にさえなるのです。
私はフト思い付いたことがあって、衣嚢から点火器を取出しました。阿修羅の顔を見ずに別れるということは、命にかけても忍びないことだったのです。
「あッ」
私は阿修羅の顔の前で、片手に腰のあたりを抱きすくめたまま、思い切ってライターを点けました。
不意に驚いた女が、両手で顔を覆う前に私はその輪郭だけをキャッチしたのです。それは片輪でもあばたでも何んでもない。その迦陵頻伽の声よりも尚お、一段と立ち優る美しさだったのです。
オルフォイは禁を破りました。
女――阿修羅は、悲痛な声を残して、窓から庭へ、闇の木立の中へ――地獄に引戻される恋人のように、消え込んでしまったのです。
遥かに自動車の音――。
それから又六ヶ月経ちました。