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はたのてい
波多野邸
豊島 与志雄
「展望」1946(昭和21)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,194 字 · 45 页
」
「いいえ、ただ、何でもよいから一生懸命に働いてみたいと思います。」
「今迄どおり、御勉強なすったら宜しいではございませんか。」
「勉強よりも、働くことです。」
お菊さんは口を噤んで、野菜を整理した。そこへ、戸村が姿を現わすと、千枝子は改まった御礼を言い、野菜の袋をさげて帰って行った。その後ろ姿を眺めながら、お菊さんは先刻の話を伝えた。
「あのひととは、なんだか話がしにくいわ。全くの本気らしいようでもあるし、こちらがからかわれてるようでもあるし……。」
戸村は考えながらゆっくり言った。
「あのひとには、なにもかも本気だろう。ただ、頭がよすぎるから、ちょっと危いね。」
千枝子の後ろ姿は、焼け野原の中に長く見えていた。かさばった野菜の袋をさげ、男みたいに肩を張り、頭をつんともたげてわきみもせず、ゆっくり足を運んでゆく、そのモンぺ姿は、青々と伸びてる麦の間を、電車通りの方へ、次第に遠く小さくなっていった。
雨がちで冷かな数日の後、いやにむし暑い日が来た。その午後、西南の中天に真黒な雲が屯ろし、それが渦巻き拡がり重畳して、空を覆うていった。地平近い明るい一線も隠れ、黒雲は南から東へと急速に移動しながら、西に本拠を置き、北方に僅かな青空を残すのみとなった。