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はたのてい

波多野邸

豊島 与志雄

「展望」1946(昭和21)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,194 字 · 45 页

青空文庫

数名の研究所員が手伝いに来た。その中に交って働いてる魚住千枝子は、ひどく楽しそうでまた快活だった。動作も言葉もきびきびしていた。房江も時々姿を見せたが、淋しそうに眼を伏せて黙りがちだった。

その晩、一同を犒うために簡単な酒食の用意が出来ていたが、当然その席に列なる筈の波多野洋介は見えなかった。それから井野格三郎老人も見えなかった。ただ高石庸明老人の頑健な風貌が、上席から一同を威圧していた。

その頃、洋介と井野老人とは、酒場「五郎」でビールを飲んでいた。

井野老人は珍らしく、古ぼけた背広を着ていた。少し頬骨が秀でて見えるくらいに痩せてる細長い顔に、凹んだ小さな眼が、近視と老視と張り合せの強度な眼鏡の奥から、子供らしい無邪気さで光っていた。

「一杯のコーヒーが飲めれば世界がひっくり返っても構わんと、不敵なこと言った男がいたが、私は、一杯のビールが飲めれば世界がひっくり返っても構わんと、敢て言うよ。」

それでも彼は二三度研究所の方へ顔を出さないでもよいだろうかと、心配そうに洋介に尋ねた。電話をかけておいたから懸念はいらないと、洋介はその度に答えた。

「なるほど、電話があるんだな。