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かいりゅう
海流
宮本 百合子
「文芸春秋」1937(昭和12)年8月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,977 字 · 72 页
そんな話をしているうちに、宏子は、電話口でさっき云われた本のことを思い出した。
「ああ、あのシュタイン夫人への手紙って何なの? そんな本があるの?」
「あるんじゃないのかえ?」
と逆に瑛子がききかえした。
「私、知らないなあ。ゲーテの伝記や何かのほかにあるのかしら――順ちゃん、知ってる?」
「僕しらないんだ」
「そりゃそうだわね、フランス語なんだから」
そう云うと同時に、宏子は、母にそんなドイツの本のことを告げた人物が誰であるか判った気がした。田沢という名と結びつけられるとゲーテの有名な愛人であったシュタイン夫人へやった恋愛の書簡を集めたものに違いない本そのものが、何となくいや味っぽい光に照らし出されて来て、宏子は腹立たしいような気持になって来た。
「その中に、ゲーテが自分はカルヴィン派の聖餐で満足しなければならないって云っているんだって。――カルヴィン派って……どういうのかしらね」
「どうせキリスト教だわよ。母様は今も宗教なんか信じないっておっしゃるんだから、そんな聖餐なんかどうだっていいじゃないの」
喉の中へかたまりがこみ上げて来るような感情で宏子は意識した意地わるさで云ったのであったが、瑛子は、普通でない娘のその調子に気づかない程自分の話題に気をとられていて、