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しぶやけのしそ
渋谷家の始祖
宮本 百合子
「中央公論」1920(大正9)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 68,023 字 · 133 页
けれども、新らしい佐々家に移ってから、一日一日と日が経るに連れて、彼の心に湧き上って来たものは、一種の感嘆と、同時の羨望である。
屋敷の周囲に槇をずうっと植え込んで、裏の菜園で苺の実熟(みの)るこの家には、五葉の松に手奇麗な霜除をした九段の家とは、何かまるで種類の違った力がある。光る仏壇と、どこか年寄くさい陰気の漂っていた家に比較すると、二人の子供が、キーキー笑い叫びながら芝草の上を転り、燕のようにブランコを振る光景は、何という相異だろう。
犬っころのように、無我な幸福で躍り廻り、跳ね廻る子供に取巻かれながら、散歩する夫人の姿を見ると、正隆は一種表現し難い愛惜を感じずにはいられなかった。過去の追憶もあるだろう、強いても殺戮し続けて来た希望への哀悼もあるだろう。正隆は、一新された環境のうちにあって、共に一新された或る不安定を、彼の生活の根本に於て感じずにはいられなくなって来た。それは、信子夫人を失って以来、十六年間彼が感情に於て否定して来た生活の模型が、ここでは正隆の暗い努力に対してあまり無惨なほど、確実に営まれている、ということなのである。
正隆がどれほど、美しい信子夫人を愛していたか、それはもう問題外である。