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しぶやけのしそ
渋谷家の始祖
宮本 百合子
「中央公論」1920(大正9)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 68,023 字 · 133 页
幸福は、類なく繊麗な妻の信子の黒い瞳と、愛撫し、愛撫し、愛撫し尽してもまだ足りないように見える母未亡人の、豊かな頬の皺の中に保証されているような心持がする。それなら、この種の幸福の萌芽を、また、あの時分のように蹂躙(じゅうりん)する者があるだろうか?
紫縮緬の衿から俄にパッと光るような項(うなじ)を浮立たせた信子夫人が、鋏の小鈴をチリチリ鳴らしながら、縫物をする傍に横わって、正隆は、思うともなく、そんなことも思って見る。
けれども、それは決して、思って見るという程度以上には進まなかった。また、進むべき種類の想像でもなかった。正隆は、心に確りと描かれている豪奢な幸福の色調を、一層鮮に引立てるために、一寸使った影として、楽しく歓びに満ちた筆触(タッチ)で一抹の灰色を引くのである。
こんなにして、正隆は、楽しかった。それは事実である。彼は自分が幸福であること、若し人間の味い得る幸福の種類が十あるものだとすれば少くとも、その中の七つまでは、既に味い得たことを、確信しているのである。
けれども、勿論、それで完全だということは出来ない。正隆の理想から見れば、美の形式に於て殆ど完成に近い女性を信子夫人だということは出来ても、それならば、彼が、無意識の中に描いていた愛というものは、これで完全かというと、正隆は、明に或