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しぶやけのしそ

渋谷家の始祖

宮本 百合子

「中央公論」1920(大正9)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 68,023 字 · 133 页

青空文庫

生活のために息子を働かせるのではない、という自信を持つ彼女は、殆ど正隆と同量の自尊心を以て、彼の地位を期待した。そして、三月ほど経つと、長兄の紹介で、正隆は、或る官立農学校の教授となることになった。

その農学校というのは、東京から数百哩(マイル)南のK県に在って、校長と長兄とが、かねて親しい友人であった関係から、彼は全く好意で、比較的高級な教授の空席を占めることになったのである。

東京を離れるということは、少くとも、彼をとり繞む快楽の減少という点で、正隆を躊躇させた。けれども、ひどく乗気になった母未亡人は、これを二度と得難い首途(かどで)として、正隆を説得した。

まだ漸く二十四の彼に比較して、明(あきらか)に優遇である地位は、正隆にとって、勿論不愉快な招聘(しょうへい)ではない。周囲の無条件な賛同を見ると、それでも厭だというべき理由を持たない正隆は、ようよう僅かな小径を現し始めた、彼の道を眺めて微笑した。何者に対してとも分らない、軽い侮蔑と、驕(おご)ったうなずきとを以て、正隆は、新に提出された位置を承諾したのである。

彼のこの首途を、彼女の思い得る最大級の形容で、神聖な、祝すべきものとした佐々未亡人は、まるで初陣の若武者を送るような感激で、送別の宴を開いた。