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おんせんざっき
温泉雑記
岡本 綺堂
「朝日新聞」1931(昭和6)年7月23~27日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,905 字 · 16 页
それが打身のようになって、暑さ寒さに崇られては困るというので、支配頭の許可を得て、箱根の温泉で一ヵ月ばかり療養することになったのである。旗本といっても小身であるから、伊助という仲間ひとりを連れて出た。
道中は別に変ったこともなく、根津の主従は箱根の湯本、塔の沢を通り過ぎて、山の中のある温泉宿に草鞋をぬいだ。その宿の名はわかっているが、今も引きつづいて立派に営業を継続しているから、ここには秘しておく。
宿は大きい家で、ほかにも五、六組の逗留客があった。根津は身体に痛み所があるので下座敷の一間を借りていた。着いて四日目の晩である。入梅に近いこの頃の空は曇り勝で、きょうも宵から小雨が降っていた。夜も四つ(午後十時)に近くなって、根津もそろそろ寝床に這入ろうかと思っていると、何か奥の方がさわがしいので、伊助に様子を見せに遣ると、やがて彼は帰って来て、こんなことを報告した。
「便所に化物が出たそうです。」
「化物が出た……」と、根津は笑った。「どんな物が出た。」
「その姿は見えないのですが……。」
「一体どうしたというのだ。」
その頃の宿屋には二階の便所はないので、逗留客はみな下の奥の便所へ行くことになっている。