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げんおじ
源おじ
国木田 独歩
「文芸倶楽部」1897(明治30)年8月10日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,455 字 · 23 页
城下より来たりて源叔父の舟頼まんものは海に突出し巌に腰を掛けしことしばしばなり、今は火薬の力もて危うき崖も裂かれたれど。
「否、彼とてもいかで初めより独り暮さんや。
「妻は美しかりし。名を百合と呼び、大入島の生まれなり。人の噂をなかば偽りとみるも、この事のみは信なりと源叔父がある夜酒に呑まれて語りしを聞けば、彼の年二十八九のころ、春の夜更けて妙見の燈も消えし時、ほとほとと戸たたく者あり。源起きいで誰れぞと問うに、島まで渡したまえというは女の声なり。傾きし月の光にすかし見ればかねて見知りし大入島の百合という小娘にぞありける。
「そのころ渡船を業となすもの多きうちにも、源が名は浦々にまで聞こえし。そは心たしかに侠気ある若者なりしがゆえのみならず、べつに深きゆえあり、げに君にも聞かしたきはそのころの源が声にぞありける。人々は彼が櫓こぎつつ歌うを聴かんとて撰びて彼が舟に乗りたり。されど言葉すくなきは今も昔も変わらず。
「島の小女は心ありてかく晩くも源が舟頼みしか、そは高きより見下ろしたまいし妙見様ならでは知る者なき秘密なるべし。舟とどめて互いに何をか語りしと問えど、酔うても言葉すくなき彼はただ額に深き二条の皺寄せて笑うのみ、その笑いはどことなく悲しげなるぞうたてき。