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げんのすけのいっしょう

源之助の一生

岡本 綺堂

「読書感興」1936(昭和11)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,444 字 · 7 页

青空文庫

その黄金時代は明治二十三年であった。

二十三年の七月、市村座――その頃はまだ猿若町にあった――で黙阿弥作の『嶋鵆月白浪』を上演した。新富座の初演以来、二回目の上演である。菊五郎の嶋蔵、左団次の千太は初演の通りで、団十郎欠勤のために、望月輝の役は菊五郎が兼ねていた。ただひとり初演と違っているのは源之助の「弁天おてる」であった。この狂言の初演は明治十四年で、その当時は半四郎の「弁天おてる」に対して、源之助はその女中のおせいという役を勤めていたのであるが、今度は自分がおてるを勤めることになった。しかも世間がそれを怪まないほどに、彼の技倆も名声も高まっていたのである。

その年の十一月、歌舞伎座で『河内山』を上演した。これも再演で、団十郎の河内山、菊五郎の直次郎、左団次の市之丞、すべて初演同様の顔触れである中で、源之助は三千歳を勤めた。これも初演は半四郎の役であった。こういうわけで、半四郎歿後の半四郎は自然に源之助と決められてしまった。沢村源之助は東京の劇壇に欠くべからざる女形となった。人気の隆々たるこというまでもない。

その東京をあとに見て、彼は翌二十四年の七月を限りに歌舞伎の舞台から姿をかくした。