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ためいきのへや

溜息の部屋

山本 周五郎

「アサヒグラフ」 1933(昭和8)年4月12日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,369 字 · 15 页

青空文庫

長いあいだ芝居の中売や寄席の下足番などをしてきた男で、人の世の隅という隅を見て歩いたはてに、辛うじてみつけ出した最後の片隅がそこだったのだ。爺さんは泥靴で汚れた床を掃き、炭を砕き、湯を沸し、そして隅へ引込んでは居睡をするか、でなければ溜息を吐いていた。

この灰色の室に『溜息の部屋』という文字が書付けられたのは、しかし爺さんがいつも溜息を吐いていたからではない、これまで描いてきた冗長な説明は、私がこれから語ろうとしているきわめてありふれた喜劇の書割にすぎないのだ。

その年の十一月に入った第一週から、ブラフ・シネマではインタアバルに、奏楽へ女声独唱を加えることになった。

提案を通させたのは沢木七郎だが、コントラバスの米山八左衛門が友だちに頼まれて、これも中央地区からだんだんと場末へ落ちつつあった歌手、根来八千代というのを持ちこんだのである。館主は初め不賛成だったが、二番煎じのバアサル物ばかりでは、せめて女声の甘い小唄でも挾まぬかぎり、入をとることはできないと熱心に沢木が口説いた結果、向う五週間という契約で話が定ったのだ。

契約が定って、根来八千代が初めて楽屋へ挨拶に来た――その明る日、この灰色の陰気な室には驚くべき変化が起った。