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おぼるるもの

溺るるもの

豊島 与志雄

「中央公論」1928(昭和3)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,690 字 · 36 页

青空文庫

殆んど気品を帯びてるとさえ云えるほどの張りのある表情で、幾度も頭を振った。

「いや、いやよ。帰さない。」

「だって、困るじゃないか。僕にだって用もあるし……。」

「何だかいや。帰したくない。こうして始終逢ってても……それでどうなるの。お金だって……。それだけのお金があれば、間借りしてでも、立派にやっていけるわ。そりゃあ、あんたには奥さんも子供もあるし、あたしはこんなとこの女だし、分ってるけれど……ねえ、片岡さん、どうしたらいいの。」

「だからさ、僕も考えてるんだ。今のことじゃなく、君の一生のこと、お婆さんになった時のことまで考えてるんだ。二月か三月、半年か一年、それだけなら、今すぐにでもどうにでも出来る。然しそれから先がさ、さよならをするようなら、つまらないじゃないか、僕は君の一生のことを考えてるんだ。分ったかい、喜代ちゃん。」

私の語気は全く真剣になっていた。実際私は、彼女の一生のことを考えていた。

彼女は嘗て、横浜の海岸で身を投げようとしてるところを、見付かって家に連れ戻された。それから、父の石塔の金をさらって逃げ出した。それから世の中に孤立してきた。