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おぼるるもの

溺るるもの

豊島 与志雄

「中央公論」1928(昭和3)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,690 字 · 36 页

青空文庫

用があって口を利く時にも、皆声を低めた。時がたてば書物が埃に埋もれるように、彼等の声も沈黙のうちに埋もれる。私は自分の声がだんだん低くなるのに気付いて、びっくりしたことがあった。扉の向うには、更に薄暗い室に、書物が一杯並んでいた。その表紙と目次とを調べて、カードを整理するのである。私の洋服の織目には、書物の埃がたまり、機械的に働かせる頭には、白い雲脂がたまっている。毎日午前九時から午後四時まで、月給百円……。そして家には、母と妻と娘、それから夕食後、生活のための飜訳の仕事……。せめて、多少の心酔か興味かを以て、その飜訳が出来たなら、或は多少の学術的研究心を以て、図書館の仕事が出来たなら……と私は幾度思ったか知れない。然し、下っ端の図書館員の仕事はいつも機械的であり、あてがわれるままを甘受する飜訳はいつも機械的であった。それも生活のためだ。だがそのために、生活そのものまで、いつしか機械的になって、やがては油が切れようとしている。――窓から床までの光の角※(「土へん+壽」、第3水準1-15-67)を、私は珍らしく眼を輝かして眺めた。

汚水の淀んでる掘割と寂しい工場とは、図書館の中の佗びしい空気を私に思わした。