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しおかぜ

潮風

豊島 与志雄

――「小悪魔の記録」――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,018 字 · 25 页

青空文庫

「それきり、お父さんは帰ってこなかったんですの。船が沈んでしまったんです。」

芳枝さんは黙っていた。佐代子もそれっきり口を噤んだ。が彼女はそっと芳枝さんに寄りそっていた。

「あたしもね、」と芳枝さんが暫くしていった、「むかし、越後に行ったことがあるわ。そして海を見てびっくりしたわ。こっちの海とまるで違うのね。大きな砂丘があるでしょう、松がまばらに生えてて……。そしてさーっさーっと、潮風が吹きつけてくる。波の音と一緒ね、どっちが波だか風だか分りゃしない。凄いわね。」

「でも聞いてると、いい気持ですわ。」

「いい気持だって?」

佐代子はうっとりと、大きく眼を見開いていた。

「まあ、冷い手ね。」

さわった拍子に、芳枝さんは佐代子の手をちょっと執った。佐代子はぼんやり眼を宙にすえたまま、益々寄りそってきた。彼女にとって芳枝さんは、何かしら貴重なやさしいなつかしいもののような有様だった。

「一杯のまない、温まるわよ。」

佐代子は杯を受けた。そして二人はとりとめもない話をしながら、酒をのんだ。佐代子はすぐに赤くなった。そして身体をくねらして芳枝さんにくっついてくるのだった。