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ちち
父
矢田 津世子
「日暦」1935(昭和10)年11月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,168 字 · 38 页
常は無口な母もおきえさんのこととなると余程癇にさわるとみえて、その声音が気色ばんでくるのが分る。聞き手になっている飯尾さんの尤もらしい表情には母を憫れむような恩恵を施すような微笑が優しく動いている。
「たかがそれ者上りの女ではありませんか。相手になさるな」と片手を振って母の話を払いのけるような恰好をする。母の興奮が少しずつ静まっていく。いわば、母と飯尾さんは一種の奇妙な夫婦のようなものであって、悲歎の多い母を飯尾さんが優しく介添いしているという風であった。こうした二人の関係が二十年近くもつづけられている。飯尾さんは母と同郷の福島のひとで良人に死別してからはずっと独りを守っていたが両親に亡くなられると身寄りのないのを不憫に思うて父が進んでひき取ったとのことであった。今では蔵の中のことも厨のことも一切飯尾さんまかせで、留守にされた時などもの探しをするのにちょっと困ることがある。
父が新潟へ行っている夜には母はいつものやすむ時刻になっても忘れたような顔で茶の間に坐りこんでいた。その傍では飯尾さんが母の幼い頃の思い出話をはじめ、あの頃はおのぶさんも前髪を垂してこんな輪っこに結うていた、と両の親指と人差指でこさえた眼鏡のようなのを頭の上へのせてみせると、