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ちちのかたみ

父の形見

豊島 与志雄

「行動」1934(昭和9)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,879 字 · 14 页

青空文庫

」と矩子は一言云った。

その言葉に、彼はぞっと全身に冷いものを感じた。そして彼女を促して霊室の方へ戻っていった。

「あたしのためには、ちがいます。」

低い声で云われたので、彼が振向いてみると、矩子は唇をかみしめて、小さく首を振っていた。

それから彼はもう矩子に近寄らなかった。何か復讐に似たものが、彼の胸の中にとびこんできたのだった。現在が大切か未来が大切か、そんなことを彼はぼんやり考えていた。

正夫よ、秋山が自殺に用いた拳銃は、その後あやふやのうちに、元来の所有者たる君の父の手許に長く溜った。今でも君のところにあるかも知れない。

それから、後で分ったことだが、秋山の僅かな預金のうちから、使途不明の一千円が、自殺の半月ばかりの前に、秋山自身の筆蹟の小切手で引出されていた。それを銀行から受取ったのは、素人とは見えない様子の女だった。それは前に一寸述べておいた、君の父の愛人なのだ。然しその金は、そっくり君のために使われた筈だ。

その拳銃とその金とに、若い君は反感を持つだろうか、或は同感を持つだろうか。または、どうでもよい些事だと思うだろうか。

君の父は、それらのことに思い惑いはしなかった。