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ちちのてちょう
父の手帳
宮本 百合子
「中條精一郎」(追悼録)、国民美術協会、1937(昭和12)年1月発行
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,342 字 · 13 页
(共進会)」一九〇八・二・一〇とあり、文部省へ行って久留課長の紹介で某氏に会い名古屋へ出張して、県庁から共進会建築設計のために、嘱託辞令を受け、「旅費三十六円八十銭東京私宅へ郵送の約」などあるところを見ると、四十歳ばかりの父はまだ当時文部省につとめていたと見えます。
コンクリート建築が日本でもその頃から漸々一般化しはじめていたのでしょうか。 (A) Depth of concrete. (B) Rough and ready rule for finding the depth of concrete. などと、数学の式が図解とともに記されている箇処も見られます。
名古屋の共進会のために参考として一九〇〇年のパリ博覧会か何かのスケッチのほか、記念塔、時計塔、アーチ、パゴーラ、音楽堂等の自分のデッサンもこの帳面の中で少なからず試みられております。そしてこの時の音楽堂草案がサラセン風の加味されたものであることは、私に特別面白く感ぜられます。父は、洋風建築の基本的伝統としては英国風でした。しかしながらその手堅さの一面では南欧風の趣をもこのみ、サラセン式の唐草、華麗な色調がすきで、多分平和博覧会の時でしたか、山の上の建物を扱った時、音楽堂を、サラセン風にデザインしました。