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ねことしょうぞうとふたりのおんな
猫と庄造と二人のおんな
谷崎 潤一郎
「改造 新年号 第十八巻第一号」1936(昭和11)年1月1日<br>「改造 七月特大号 第十八巻第七号」1936(昭和11)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 68,020 字 · 131 页
ガラス戸を開けた途端に、何処かへ逃げて行ったのであろうか。
「リリーや、………」
と、階下の夫婦を起さないように気がねしながら、彼女は闇に声を投げた。瓦が濡れて光っているので、さっきのあれが時雨だったことは疑う余地がないけれども、それがまるでだったように、空には星がきらきらしている。眼の前を蔽う摩耶山の、幅広な、真っ黒な肩にも、ケーブルカアのあかりは消えてしまっているが、頂上のホテルに灯の燈っているのが見える。彼女は張り出しへ片膝をかけて、屋根の上へノメリ出しながら、もう一度、
「リリーや」
と、呼んだ。すると、
「ニャア」
と云う返辞をして、瓦の上を此方へ歩いて来るらしく、燐色に光る二つの眼の玉がだんだん近寄って来るのである。
「リリーや」
「ニャア」
「リリーや」
「ニャア」
何度も何度も、彼女が頻繁に呼び続けると、その度毎にリリーは返辞をするのであったが、こんなことは、ついぞ今迄にないことだった。自分を可愛がってくれる人と、内心嫌っている人とをよく知っていて、庄造が呼べば答えるけれども、品子が呼ぶと知らん顔をしていたものだのに、今夜は幾度でも億劫がらずに答えるばかりでなく、次第に媚びを含んだような、何とも云えない優しい声を出すのである。