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たまつきばのいちぐう

球突場の一隅

豊島 与志雄

「新小説」1916(大正5)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,111 字 · 29 页

青空文庫

そして両足をぶらぶらと動かした。空間に触る蹠の感じと膝関節の軽い運動とが、彼女の心を楽ました。それは彼女が幼い時からそのままに持っている唯一の感覚だった。

その時彼女は、いつかも同じ様に球台に腰掛けていた時、はいって来た客に見られて抗議を申し込まれたことのあることを、ふと思い出した。そして何となく可笑しくなった。

彼女は球台に腰掛けながら、球を拭いた。そして低い声で種々な小唄を歌ってみた。後には幼い時覚えた唱歌までも口吟んでみた。それから心の中では遠い未来の幸福を夢みた。外に荒れている暴風雨が何か思いも寄らぬ幸福を齎すのではないかと空想した。

然し乍らその瞬間はすぐに去った。彼女は自分の夢に自ら驚いた。それは現在のうちにちらと映ずる過ぎた幼時の心であった。自ら識って見ることの出来ぬ夢であった。

おたかはちぇっと舌打ちをして球台から飛び下りた。そして急いで球を拭き終ってそれを箱の中にしまった。もう客もないと思ったのである。そして刷毛で台の羅紗を拭いた。生に疲れたといったような気分が彼女の心を浸していた。

その時表に急な足音がして、入口の硝子戸ががらりと開いた。