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たまつきばのいちぐう

球突場の一隅

豊島 与志雄

「新小説」1916(大正5)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,111 字 · 29 页

青空文庫

お召の着物と羽織を着てキルク裏の草履をはいていた。村上に気がついたかつかないのか、向うをむいて通りすぎてしまった。村上も黙っていたそうである。

「本当なのかい。」と松井は眼を輝かした。

「嘘を云ってどうするんだい。」

二人はじっと相手の眼を見入った。

「あの婆がいけないんだよ。」

「そうだ。」と松井も応じた。

「もう余りあの家に行くのは止そうよ。」

「ああ少しひかえようね。」

然し二人はやはりよくその家に出かけて行った。

彼等はある一種盲目な力に引かされたのである。そしてその家には、彼等にとってはある淋しい心安さがあった。

丁度おたかが居なくなって二週間ばかり過ぎた時、二人はその家に林を見出して全く意外の感に打たれた。

林は二人を見て一寸頭を下げた。村上は澄まして向うに行ってしまった。然しその時松井は、わけもなくほっと軽やかな心地を感じて、ずっと林の前に歩み寄った。

「大分暫くでしたね。」と松井は云った。その声は妙に喉の奥でかすれた。

「ええ。丁度暫く病気をやったものですから。まだ薬を飲んでいますけれど、もう殆んど宜しいんです。」

「それはいけませんでしたね。」

そのまま黙って松井は林の前につっ立っていた。