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びわでん

琵琶伝

泉 鏡花

「国民之友」1896(明治29)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,081 字 · 24 页

青空文庫

「謙さん。」

とまた低声に呼びて、もの驚きをしたらんごとく、肩をすぼめて首低れつ。鉄瓶にそと手を触れて、

「おお、よく沸いてるね。」

と茶盆に眼を着け、その蓋を取のけ、冷かなる吸子の中を差覗き、打悄れたる風情にて、

「貴下、お茶でも入れましょうか。」

と写真を、じっと瞻りしが、はらはらと涙を溢して、その後はまたものいわず、深き思に沈みけむ、身動きだにもなさざりき。

落葉さらりと障子を撫でて、夜はようやく迫りつつ、あるかなきかのお通の姿も黄昏の色に蔽われつ。炭火のじょうの動く時、いかにしてか聞えつらむ。

「ツウチャン。」

とお通を呼べり。

再び、

「ツウチャン。」

とお通を呼べり。お通は黙想の夢より覚めて、声する方を屹と仰ぎぬ。

「ツウチャン。」

とまた繰返せり。お通はうかうかと立起りて、一歩を進め、二歩を行き、椽側に出で、庭に下り、開け忘れたりし裏の非常口よりふらふらと立出でて、いずこともなく歩み去りぬ。

かくて幾分時のその間、足のままにえりし、お通はふと心着きて、

「おや、どこへ来たんだろうね。」

とその身みずからを怪みたる、お通は見るより色を変えぬ。

ここぞ陸軍の所轄に属する埋葬地の辺なりける。