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たはらしのはんざい

田原氏の犯罪

豊島 与志雄

「黒潮」1917(大正6)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,957 字 · 57 页

青空文庫

「そうねえ、六月でこんなだから。」

「今年は皆で山へ出かけようではありませんか。」

「私も何処かへ出かけたいと思っていますがね。でも同じ行くなら海の方がよくはありませんか。」

「海は頭が悪くなっていけませんよ。」

「また頭ですか。」そう云ってしげ子は眼を挙げて重夫の顔を見た。「お前さんはいつも頭のことばかり心配していますね。」

「それは僕等のような若い時は、頭が一番大切なんですから。」

その時二階の梯子段に足音がした。父が下りて来るのであった。それをきくと二人共妙に口を噤んでしまった。然しそれは別に父を憚ってではなかった。自然に二人の心がそちらへ引きつけられたからである。

父は重い足どりで歩いて来て二人の所へ顔を現わした。

「お眼覚めですか。」としげ子が云った。

「ああ。」

「今日はわりにお早いんですね。」と重夫が云った。

「それでもぐっすり寝入ってしまった。昼寝はよくそして短く眠るに限るね。」

然し乍ら、田原さんは如何にも陰欝な顔をしていた。濃い眉根から広い額へかけて、彼がいつも怒った時に示すようなかすかな竪皺が寄っていた。そして長く濃い口髯に半ば隠された口元には、意力の欠乏を示す空虚が漂っていた。