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おとこぎらい

男ぎらい

豊島 与志雄

「苦楽」1949(昭和24)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,878 字 · 18 页

青空文庫

そのかすかな音に、ぼんやり耳をかしていますと、あの男くさい家も、空気もだんだん遠くへ退いてゆくようで、気持ちも落着いてきました。私は堤防をかみへ歩いてゆきました。

轍のあとが少しついてるきりの、広々とした堤防です。木立もなく、草原だけで、春草はまだ臭を出していません。何にもなく、人影もなく、ただ深い静かな霧が一面にかけています。

その霧の中から、気づかぬまに、何かの形が浮き出していました。それとははっきり気をつけて見た時には、もう人の姿となっていました。堤防の上ではなく河の上を、こちらへ徐々に近づいてきます。見覚えというほどのものではなく感じに覚えがあるようです。あ、たしかに覚えがあります。キリストの姿です。それも、えらい画家が画いたキリスト像ではなく、世間に流布してる通俗なもの、至るところで見られるような、何の特長もない画像です。それが、河の上を歩いてきます。湖水の上を歩いて渡ったキリストも、この通りだったでしょう。その最もありふれた普通の姿のキリストこそ、私にとっては、最もすっきりしたもの、最も男くさくないもの、最も清らかなものだったのです。