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やのしのとい

矢押の樋

山本 周五郎

「キング」大日本雄辯會講談社、1941(昭和16)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,468 字 · 29 页

青空文庫

「お言葉ではございますが」

伊右衛門はそっと眼をあげながら云った。

「お貸下げ願いの事は、公儀に於てお執上げにならぬという、江戸表からの書状がまいったと承わりましたが」

「……いま申した通りだ、申した通り書いてやればよい」

「然し買付け約定を纏めまして、いざ為替が送れぬと相成りましては、蔵屋敷一同の進退谷まる仕儀に成ろうかと存じますが」

「金は送ると申しておる」

重太夫は不必要なほど大きな声で遮った、伊右衛門は口を噤んで、眤と勘定奉行の表情を覓めていたが、やがて静かに自分の席へ立って行った。

延宝八年から天和元年、二年とひどい天候不順で、奥羽一帯は五穀不作が続き、同三年の春からは処々に飢饉状態が現われ始めていた。……羽前国向田藩は幕府直轄に準ずる地として、松平河内守が三万石余を領していたが、同じく旱害のため殆ど山野に生色なく、城下、農村の疲弊は極めて深刻だった。それでも向田藩は伊達家の押えとして置かれたものであり、一朝事ある場合のため幕府の命で豊富な貯蔵米を持っていたし、また平常から備荒食品の研究の普及している地方なので、春まではどうやら持越して来た。然し夏月に入ると共に窮乏は蔽うべからざるものとなり、一方では僅な例外を除いて、大部分の田地が植付けも出来ぬ状態であったから、農民たちは絶望して不穏な空気が漲りだし