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かぐらざか
神楽坂
矢田 津世子
「人民文庫」1936(昭和11)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,611 字 · 40 页
それを爺さんはいつもよい加減に聞き流しにしている。自分の不遇時代にせっぱつまった揚句の三十両の無心を安がどんなそっけなさで断ったか。――爺さんはその時のことを思うと肚が煮え立つのである。当時、京橋の方で手広く唐物の卸し問屋をしていた安さんは、生憎遊んでいる金が無いから、と云うてこの無心を突っぱねたのだった。それが今おちぶれて、身上をあげた爺さんへ縋りついてくる。爺さんの面白くないのも無理がない。
「何んぼ、安が来たって、太七の話は駄目だ」
爺さんはそっけなく云い放った。それを聞いて内儀さんは「爺さんは、まあ何んて頑固なのだろう」と思うのだが、ほんとうはそれ程爺さんを批難する気もちも起らない。息子を養子にしたい安さんの下心が内儀さんにもうすうす分っていて、これを爺さん同様うとましく思っているからである。
爺さんに子供を貰ってはくれまいか、という親類はこのほかにもある。爺さんの兄さんにあたる郷里の小学校長と内儀さんの従弟の代書屋である。この校長さんの方などは、爺さんが渡仙の手代をしていた頃は、高利貸しの弟はもたれぬ、などというて家へも寄せつけず、その扱いようは蛇蝎をみるが如しであった。