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かんだをさんぽして

神田を散歩して

寺田 寅彦

「解放」1922(大正11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,623 字 · 10 页

青空文庫

宣伝の必要のあるというのは、つまりその事がらがどこか偏頗であり、どこか無理がある事を証明するのだとすれば、結局宣伝というものは別に恐ろしいものでもなんでもなくなるわけである。むしろ適当な程度の宣伝が各方面からせり上げてそのすべての合力によって世の中が都合よく正当な軌道を運転して行くのかもしれない。あるいは実際多くの宣伝者自身がこれぐらいの心持ちでめいめいの宣伝をやっているのかもしれない。そうだとすれば始めから問題はなくなる。これまで自分の考えたようないろいろの心配などは畢竟誇大妄想病者の空中に描く幻影のようなものかもしれない。しかしはたしてそうであれば、現在行なわれているいろいろの宣伝がもう少しちがった色彩を帯びてもいいわけではあるまいか。

電車の中で考えたのは、あらましこんな事であったように思う。

とにかく結論としては何も得られなかった。

その後二三日してまた駿河台下を歩いた。その時には正午過ぎの「太陽」の強い光がくまなく降りそそいでいた。例の屋根の上に例の仁丹の広告がすすけよごれて見すぼらしく立っていた。白日のもとに見るとあれはいかにも手持ちぶさたな間の抜けたものである。