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わたしがちょうさくりんをころした

私が張作霖を殺した

河本 大作

「文藝春秋」文藝春秋、1954(昭和29)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,564 字 · 18 页

青空文庫

他方、日本の政界では満蒙問題解決に邁進する誠意を欠き、張作霖爆死事件をめぐって、これに善処するどころか、かえってこれを倒閣の具に供さんとさえする一派が出て、中野正剛、伊沢多喜男らはそれに狂奔するありさまであった。

時の陸相白川義則大将は、いたずらに愚直で、事件に対する答弁は拙劣を極め、ますます中野、伊沢らに乗ずる隙を与え、ついに田中義一内閣はこのため倒壊するに至った。

さらに、この事件に参画した私は停職処分を受け、村岡軍司令官、斎藤参謀長、水町袈裟六独立守備隊司令官らも相ついで、それぞれ行政処分を受けるに至った。

政争はついに国策を誤って憚らない。政党政治の弊はここに極まり、もっとも顕著な悪例を我が憲政史上に残したのはこの時であった。

かくて私は、昭和四年七月、いったん第九師団司令部附となり金沢に謫せられ、同年八月停職処分を受けて軍職を退くことになった。そこで旧伏見聯隊時代の縁故をたどって、京都伏見深草願成に仮りの寓居を定め、もっぱら謹慎の意を表した。

この謹慎生活の裏にあって、私は、つらつらと沈思するの時を掴んだ。世は滔々として自由主義に傾き、彼らは、満蒙問題の武力的解決に対しては、非難攻撃を集中し、甚だしい論者中には、満蒙放棄論をさえ唱えだす外交官を見るのであった。