轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
わたしがちょうさくりんをころした
私が張作霖を殺した
河本 大作
「文藝春秋」文藝春秋、1954(昭和29)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,564 字 · 18 页
同時に敗退した場合の張作霖の兵三十万は、よろしく山海関でことごとく武装を解除してのみ、入れるべきである。そして武力のない、秩序、軍紀のない、自制のない、暴虐な手兵を持たぬ張作霖を対手に、失われつつあるいっさいの、我が幾千件にわたる権益問題を一気に解決すべきである。
右の方策は、会議の容れるところとなり、ことに森恪は、この献策に非常な共鳴をした。そしてこれは東方会議の議決となった。
そうして、蒋介石の北伐は開始された。初め蒋介石は、山東、北支の戦禍に巻き込まれることを避けよとの提案を容れていたにかかわらず、勝ちに酔って、ついに済南城内を通過せず、ここに入城して約を違えたので、昭和三年の済南事変が勃発し、我が出兵となった。一方奉天軍は、予想通りに敗走して、山海関へ雪崩れを打って殺到した。
関東軍はただちに、その治安維持のために備うべく、朝鮮から一混成旅団を編成して、時を移さず奉天に集中して待機したが、錦州および山海関へは、満鉄線付属地以外へ出兵することになるので、奉勅命令を待たでは出動することが出来ない。その奉勅命令がいっこう下らない。敗兵は続々と入って来るというありさまであった。