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かがくろん
科学論
戸坂 潤
「唯物論全書 第一巻」三笠書房、1935(昭和10)年10月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 142,817 字 · 278 页
認識の客観性は、単に知識としての知識(実践から独立した孤城の主としての知識)の内には求めることが出来ず、人間の社会的な(又歴史的な)実践活動の一部分としての知識の内にしか求めることが出来ない。と共に、知識・模写は、何等かの仕方に於ける人間の社会的実践活動が介入して構成の労をとることなしには、事実上なり立たない、という結論になるのである。
尤もどういう仕方に於て実践の要素が認識の過程に介入するかは、分析を必要とすることで、単に知識の理論的な行きづまり――夫は理論的矛盾となって現われるが――を実地や経験というものの責に転嫁して、理論的な解決を打ち切ることは、ファシスト的アクティヴィズムか、僧侶的な神秘主義のデマゴギーにぞくする。云うまでもなく理論はどこまでも理論であり、之に対して事実はどこまでも事実である。知識は知識であり、実践は実践なのだ。だがこの理論や知識のそれ自身の自律による一貫性が、実は経験的事実なり実践的な問題の解決なりの、線に沿うてしか起こり得ないということ、或いは起こらなくてはならぬということ、夫が今大切なのだ。実践は理論に向って、思い出したように時々干渉するのではない。