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しんのしゅっぱつ

秦の出発

豊島 与志雄

「文芸」1945(昭和20)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,532 字 · 29 页

青空文庫

事務所の様子も風変りだし、碁盤があるのも、上海では異数だが、内実も、ここでは特別な取引が行なわれていたのである。数十万の現金、時には数百万の現金が、鞄につめこまれてここを通過した。逞ましい二三の事務員の手につながってる数多の糸が、あちこちの地下へもぐっていた。旧仏租界の街頭をうろついてる白系ロシア人のブローカーにまで、その一筋は伸ばされていた。それらのことは、至って複雑にも見えるがまた至って簡単だとも言える。然しそれはこの物語とは別な事柄である。

ただ、茲に述べておかなければならないのは、秦啓源が斯かる取引に関係があったことだ。彼の仲間……というより寧ろ彼の部下たちによって、それも主として彼の資金と張浩の慧眼とによって、多くの金属が掘り出された。金や銅は言うまでもなく、モリブデンもあれば、イリヂウムさえもあった。

上海には多くの豪壮な建築があるが、どれにも地下室はない――これは秦啓源の言葉であって、地理的条件から来る実状ではあるが、また比喩とも受け取れる。嘗てはその滞貨が世界の都市中でニューヨークに匹敵すると言われた上海も、随分と貧寒にはなったけれど、まだまだ莫大なものを埋蔵している。