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しんのしゅっぱつ

秦の出発

豊島 与志雄

「文芸」1945(昭和20)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,532 字 · 29 页

青空文庫

の一件を話した。不思議にも、秦はもうそのことを知っていた。

「丹永のことについては、僕はへんに心残りを感ずる。これは僕の方の一種の霊感だが、あれは長くは生きまい。」

秦はしみじみと言った。私はなにか冷い空気を感じて外套を着た。秦も外套を着た。このような時、蟹でも食べに出かけたいのだが、もうその季節も過ぎていた。その上、秦は何かを待ってる様子で、二三回腕時計を見た。

彼が待ってるのは、陳振東だったらしい。陳振東がはいって来ると、彼は居ずまいを直した。

陳はなにかてきぱきと報告した。秦はその一語一語にうなずいてみせた。それから私に言った。

「玄元禅師が、明朝、丹永のところに来てくれるそうだ。あれも安心することだろう。」

その配慮は適宜だったし、秦の霊感もただの杞憂ではなかったと、あとで思いあわされた。――先廻りして言っておこう。丹永は翌日の朝、可なり多量の喀血をした。一時意識を失い、次に恐怖に襲われた。恐怖の後に、平静な衰耗状態に陥った。そこへ、粗服のなかに顔面だけが明朗に輝いてる玄元禅師が来た。禅師は二時間ばかり丹永のそばに坐っていた。祈祷もなく、説教めいたこともなく、沈黙のうちに時々短い言葉を彼女にかけた。