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ちごほうし
稚子法師
国枝 史郎
「文芸倶楽部」1924(大正13)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,609 字 · 16 页
「杖ぐらいなら進ぜようとも」
振り返えりもせず持っていた杖を阿信は背後へひょいと投げた。
「有難うござります」と、礼を云う声がさも嬉しそうに聞えたかと思うと、直ぐに幽かな水音が為た。
阿信は思わず振り返った。
川の上に杖が浮いている。杖の上には女がいる。そうして杖は女と共にスルスルと対岸へ辷って行く……。
阿信は総身ゾッとして其儘其処へ立ち竦んだが、「南無幽霊頓生菩提!」と思わず声に出して唱えたのであった。
翌日彼は江戸へ着いた、其時不思議な噂を聞いた。――
秩父の代官河越三右衛門が、召使の婢に濡衣を着せ官に訴えて逆磔に懸けた所、昨夜婢の亡霊が窓を破って忍び入り、三右衛門を喰い殺したというのである。――
「偖はそういう幽霊であったか。杖を遺したのが誤りであったが、夫れも止むを得ない因縁なのであろう」
で、五つの位牌の上へ更に二つの位牌を加えて、阿信は菩提を葬った。
稚子法師の名声は江戸に迄も聞えていた。
其稚子法師の本人が此度江戸へ来たというので其評判は著聞しかった。併し阿信は其評判を有難いとも嬉しいとも思わなかった。却って迷惑に思いさえした。
勿論誰に招かれても決して招待に応じなかった。