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あきや
空家
宮崎 湖処子
「国民之友」1889(明治24)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,554 字 · 30 页
ゆき、「今日はよきものを持ち来ぬ」とて寡婦の前に卸したり、その黒染めの古板と欠けたる両脚は、牧家数代の古机にして、角潰れ海に蜘蛛の網かけたる荒砥の硯は、彼が十歳のとき甘木の祇園の縁日に買い来しものなり、雨に湿みて色変りところどころ虫蝕いたる中折半紙に、御家流文字を書きたるは、寅の年の吉書の手本、台所の曲める窓より剥ぎ来たれる、三行書きの中奉書は卯の年の七夕、粘墨に固まりて反れたる黒毛に殕つきたるは吉書七夕の清書の棒筆、矢筈に磨滅されたる墨片は、師匠の褒美の清輝閣なり、彼は曰えり、「兄貴がこの墨を頂戴せしそのありがたがりし笑顔、今もなお目にあり、古参の子供らが捻紙つなぎの文銭もてぜひに買わんと強い、あるいは半紙十枚と換えくれと請いたれども承知せず、大切に秘蔵して自分さえついに一度も使用せざりし時のこと、思えば昨日のようなれど今は返らぬ昔語となりぬ」と、思わず一滴の涙を浮めぬ、
「行き届きたる卿の情しみじみかたじけのう存ずるぞかし、して人間はただ前の方に進むばかり跡には返らず、まして墓に入ればそれまでのこと」と、阿園も太息し、暫時はともに無言なりき、久しく隠れたる