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けいば

競馬

織田 作之助

「改造 第二十七巻第四号」改造社、1946(昭和21)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,134 字 · 24 页

青空文庫

かつては豊満な脂肪で柔かった肩も今は痛々しいくらい痩せて、寺田は気の遠くなるほど悲しかったが、一代ももう寺田に肩を噛まれながら昔の喜びはなく、痛い痛いと泣く声にも情痴の響きはなかった。やっと看護婦が帰って来たが、のろまな看護婦がアンプルを切ったり注射液を吸い上げたり、腕を消毒したりするのに手間取っているのを見ると、寺田は一代の苦痛を一秒でも早く和げてやりたさに、早く早くと自分も手伝ってやるのだった。

気の弱い寺田はもともと注射が嫌いで、というより、注射の針の中には悪魔の毒気が吹込まれていると信じている頑冥な婆さん以上に注射を怖れ、伝染病の予防注射の時など、針の先を見ただけで真蒼になって卒倒したこともあり、高等教育を受けた男に似合わぬと嗤われていたくらいだから、はじめのうち看護婦が一代の腕をまくり上げただけで、もう隣の部屋へ逃げ込み、注射が終ってからおそるおそる出て来るというありさまであった。針という感覚だけで参ってしまうような弱い神経なのだ。ところが、癌の苦痛という感覚の前にはもうそんな神経もいつか図太くなって来たのか、背に腹は代えられぬ注射の手伝いをしているうちに、次第に馴れて来て、しまいには夜中看護婦が眠っている間一代のうめき声を聴くと、寺田は見よう見真似の針を一代の腕に打ってやるのだった。