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わらうおしおんな
笑う唖女
夢野 久作
「文芸」1935(昭和10)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,719 字 · 31 页
しかし澄夫は動かなかった。呼吸をしているのか、どうかすら判然らない位凝然と静まり返っていた。初枝も天鵞絨の夜具の襟をソット引上げて、水々しい高島田の髱を気にしいしい白い額と、青い眉を蔽うた。
白湯の音がシンシンと部屋の中に満ち満ちた。
新郎――澄夫は、その白湯の音に耳を澄ましながら、物置の中に寝ている唖女の事ばかりを一心に考え続けていた。
それは去年の八月の末の事であった。
暑中休暇の数十日を田舎の自宅で潰して、やっとの事で卒業論文を書上げた彼は、正午下りの晴れ渡った空の下を、裏山の方へ散歩に出かけた。
彼の両親はもう、三個月ばかり前に老病で相前後して死んでいた。後の医業は彼の父の友人で、伜に跡目を譲って隠居している隣村の頓野老人が来て、引受けてくれていたので、彼はただ一生懸命に勉強して大学を卒業するばかりであった。しかも天性柔良で、頭のいい彼は、各教授から可愛がられていたし、自分自身にも首席で卒業し得る自信を十分に持っていた。卒業論文が出来上れば、もう心配な事は一つも無いといってよかった。
彼は完全な両親の愛の中で育ったせいであろう。庭球以外には何一つ道楽らしい道楽を持っていなかった。