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そろばんがこいをかたるはなし

算盤が恋を語る話

江戸川 乱歩

「写真報知」報知新聞社、1925(大正14)年3月15日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,096 字 · 16 页

青空文庫

即ち「今日帰りに」という意味です。これで一か八かかたがつこうというものです。今日社の帰りに彼女が樋の山遊園地へ来ればよし、若し来なければ今度の計画は全然失敗なのです。

「今日帰りに」その意味を悟った時、うぶな少女は一方ならず胸騒ぎを覚えたに相違ありません。だが、あのとりすました平気らしい様子はどうしたことでしょう。ああ、吉か兇か、何というもどかしさだ。Tはその日に限って退社時間が待遠しくて仕方がありませんでした。仕事なんか殆ど手につかないのです。

でもやがて、待ちに待った退社時間の四時が来ました。事務室のそこここにバタンバタンと帳簿などをかたづける音がして、気の早い連中はもう外套を着ています。Tはじっとはやる心を押えて、S子の様子を注意していました。若し彼女が彼の指図に従って指定の場所に来るつもりなら、如何に平気を装っていても、帰りのあいさつをする時には、どこか態度にそれが現れぬはずはないと考えたのです。

しかし、ああ、やっぱり駄目なのかな。彼女がTにいつもと同じ丁寧なあいさつを残して、そこの壁にかけてあったえり巻を取り、ドアを開て事務室を出て行って終うまで、彼女の表情や態度からは常に変った何ものをも見出すことが出来ないのでした。