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はんちゅうとしてのくうかんについて

範疇としての空間に就いて

戸坂 潤

――之は一つの習作である――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 45,453 字 · 89 页

青空文庫

即ち何物かを客観に於て、又は之に就いて、又は之に属すものと考える時、第一に主客の対立を仮定する必要がないのである。又第二にそれは不可能でもある。何となればもし対立を許すとすれば、それを主観から見ることとなり、従って客観そのものに就いて語ることではなくなるからである。以上のことを逆に云えば要するに主客の対立に於ては本来の客観を語ることが出来ないのである。もしラスクの場合の如きものがあるとすれば、それはこのような本来の客観をば「主観の側から」という一つの条件の下に、即ち「主客の対立」という仮定の下に、投影したものに外ならないであろう。客観という名辞そのものがかかる投影の所産である。客観というものは一つの二律背反を有っている、それは主観と対立しながら且つ之を超越する、即ち之と対立しない。恰も吾々が直観と云う時それは一応は概念でなければならないのにも関らず、本来はこの概念を超越することでなければならないと同じである。ラッセルが提出したかの二律背反――「百字以下の文字によっては定義し得ない処の最小の数」は明らかに存在する。併し又存在しない、何となれば百字以上を以てでなければ定義されないその数が今や二十四字を以て定義されているから、かかる数は矛盾している故であると。