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はんちゅうとしてのくうかんについて
範疇としての空間に就いて
戸坂 潤
――之は一つの習作である――
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 45,453 字 · 89 页
な意味を有つことになるわけであり、もしそうでない場合には他の意味を有たなければならないわけである。この後の場合、即ち認識論的ではない処の意味を有つ時、私は範疇をば「存在論的」と呼んで好いであろう。向に私が「条件」と云ったのはこの「認識論的」又は「存在論的」を指したのである*。
* 私は範疇に就いての「認識論的」と「存在論的」との対語を O. Spann の“Kategorienlehre”から借りた。無論その区別は必ずしもこの人の思想に相当しないかも知れない。
繰り返して云えば、認識論的とは主観と客観との対立を予想することそのことである。そして範疇が認識論的であるというのは従ってそれがロゴスから生れるということであった。処がその淵源(Genesis)をロゴスに有つものは「論理的」(logisch)である。かくて認識論的範疇の第一の性質は論理的であることになければならぬ。処が又一般に、論理的であるものは概念か判断か推論かの形に於てなければならぬということを何人も認めなければならない。故に範疇は第二にこの三つのものの何れかの形に於てある筈である。但しこの三つのものが本来どういう関係にあるかという――例えば概念は実は一つの判断であり之が又実は一つの推論でなければならぬというような――論理学的な議論はしばらく別として